前回に引き続き、お送り致します。
…
…どれくらい走らせただろうか?
街灯一つない、真っ暗で苔むした薄気味悪い下りのワインディングが続くダム脇の一車線
さっさと帰宅したかったが、スピードを出せばダムへ吹っ飛ばされそうだったのでトロトロ安全運転で中々抜け出せずにいた
コレを読んでる貴方は霊感をお持ちの方でしょうか、自分は心霊体験ほぼゼロで正直まっっったく霊感の無い人間なんですよね
そんな私でも何か薄気味悪い悪いなと感じがら走行していたのですが、突然現れた街灯無しの真っ暗なトンネル&苔むした赤色の橋を通った 所で悪寒のピークを迎える
※イメージ画像、当時は深夜です
最悪のタイミングで、なんつー不気味なトコ走らせやがる
いやー、良く「笑うしか無い」って表現があるじゃないですか、この時引き笑いで爆笑してましたからね、一人で
よく考えればダム横の脇道を深夜に爆笑しながら原付で駆け抜ける少年って相当ラリってますよね、お前が怪奇現象だっていう
こうして不気味な場所を通り過ぎただけというオチのない話ですが
恐怖の中、最後の峠を超え自分が住んでる街近くの夜景が見えた時は「やっと帰ってきた…」と、人工の灯火がやたらと久し振りに感じた
こうして日付を跨ぐ一歩手前くらいの時間に冒険のようなツーリングから帰宅した時、実家の部屋が何故か更に狭く見えたのが印象に残っている
余談だが、通り過ぎた不気味な道路は県内でも有数の心霊スポットとして有名な場所で赤い橋は自殺者が絶えない怪談話が轟く曰く付きのスポットだったとか。
それを友人から聞いた私は、取り敢えず聞かなかった事にしておきました☆
気づけば自動車学校へ入校していた
あのツーリング以来、原付には二度と乗っていない…訳がなくむしろ逆で
あの時のワクワク感と恐怖感が入り混じった冒険感が忘れられず、その後も隣の県となる広島や福岡まで原付一つで行ってみたりと見事にツーリング中毒へ
「沼へハマる」という表現だろうか
気づけば泣けなしの貯金を叩いて免許取得代を握りしめ、自動車学校で入校手続きを進める自分がいた
専門学校とバイト先を往復する中空いた時間で自動車学校へ通い、学生ながら時間が全然無かった覚えがある
乗っていたのは原付だったが、脳内では既にあのクルーザー系のバイクを運転してる自分がいた
貯めたバイト代で「ドラッグスター400」を購入
居酒屋、プールの監視員、ビアガーデン、実家である床屋の手伝い、長期休みは全部仕事、時にはバイトを掛け持ちしながら貯金し、専門学校の卒業間際で中古のバイクが購入できる額まで達した
購入時したのは2002年式のYAMAHAアメリカンバイク「ドラッグスター400」
自分自身バイクらしいスピードをかっ飛ばす車両には興味が無く、制限速度付近でゆっくりトコトコ知らない所を旅する車両に憧れていた
そして何より決め手はVツインエンジンが決まった、クルーザーバイク独特のルックスだ
こうして次に手にした相棒と共に、最初の就職先となる「大分県」へ引っ越すのであった
就職先で鬱病寸前な自分を救ってくれたのはバイクだった
就職先は業界の中ではブラックと言う程過酷では無かったが余程辞めさせたかったのだろうか、自分の未熟さ故に約1年半程女店長のパワハラが猛威を振るう(その話はまた別の機会に)
父親の紹介で入社した場所だったので 絶対に顔に泥を塗ってはダメだと自分に言い聞かせ、辞めるに辞めれず毎日ただ絶えながら職場へと向かい
正直、完全に鬱病のレベルだったが、そんな中でも唯一の癒しが休日のツーリングだった
住んでいた大分市は別名「九州横断道路」、九州ツーリングのハイライトである「やまなみハイウエイ」まで1時間程
四国も佐賀関〜三崎を結ぶフェリーで1時間程、周りは温泉だらけの立地というバイク天国である
そして時には一泊二日で大分市〜鹿児島県佐多岬(本土最南端)の弾丸ツーリングを行なったりと、今考えればアホな事してたなと思うが
それらが現実逃避していた私の唯一の、唯一の楽しみだった
結局1年半で経営者に辞めるよう促され、実質クビになって辞める事になったのだがあの時のバイクは本当に私の心の支えでした
仕事はクソだったが、九州ツーリングの思い出は今となっては良き思い出である
共に西日本各地を走り回る
その後は故郷山口県へ帰宅し新たな就職先では割と人脈にも恵まれる、ここで1年半程で手に職を会得し場所を選ばず最低限の稼ぎを会得出来る程となった
勿論学びを得る過程でも九州方面や関西寄りの中国地方、四国中を走り回った
当日兵庫県へ住み込みのバイトをしていた彼女の元へ、バイク一台で会いに行った事もある
多分こんなこと言うと仕事を舐めると怒られそうだが、遊びも仕事も無理せず、でも全力で取り組むのがモットーである
日本三大カルストも走破しちゃいました【上から「平尾台(福岡県)、四国カルスト(高知県)、秋吉台(山口県)】
因みにマイカーというのは所持した事は無く、通勤だろうが真冬だろうが全てドラッグスター1台で脚としての機能を全てをこなしていた
こうして走行距離も3万を超え、扱いも少々乱暴だった事もあり中古車両の宿命だろうか所々故障箇所が増えてくる
この時点で薄々、相棒とは長くは走れないかもしれないと感じていた
そして仕事もステップアップとして転機も訪れ一時的に仕事を辞める事になる…と同時に9月一杯1ヶ月程の空いた時間を確保する事が出来た
今まで九州からは余りにも遠く諦めていた、ずっと野望としていたバイク乗りの聖地であるあの場所を目指す事にする…